ありたい姿に気づくばしょ | よりみち茶屋 とおまわり

ありたい姿に気づくばしょ

2019年11月04日

書き出したいことは山ほどあるのですが、なかなか誤解のないように伝えることや、文章での表現が難しく何度か書いては下書きにしまい・・を繰り返してきています。

すごおおおくいまさらになりましたが一周年記念のお楽しみ会、たくさんのご参加ありがとうございました。台風もあり皆さんご自身のことも大変な中来てくださった方々もおりました。

この1年間について思うことが山ほどあります。奥多摩にきてからというもの、楽しいことばかりではなく怒りとか悲しいとかいろんな感情と戦った日々も続きました。でもそれはとても良いことで、それでもやりたいと思う気持ちとかそういうときにこそ支えてくれる人たちへのありがたみとか、しんどければしんどいほどそういうしんどさを抱える人がいたときにそのしんどさに寄り添えるようになるとか必ず気づきや学びがあると思っています。

これまでいろんな仕事をしてきて、人とかかわる数というのはとても多かったです。その分いろんな人の人生のしんどいを見てきました。例えば学生の頃の不登校の子の家庭教師のアルバイトでは家庭にも学校にも居場所が見つけられず命を落とした子、金融系の仕事をしていた時は頑張っても事業がうまくいかず自己破産した人、借金した人への対応、ハローワークではもう生きていけない、生きていたくないと号泣する人、思い出すだけでもっと自分にできたことがあったのではないかと考えてしまいます。

わたしは、外面だけいい人が好きではありません。社員を大切にしないでお客様の前でだけ良い顔をする社長、子供にひどく当たり外ではいい親感を出す大人、家ではDV・外では頼れる上司、こういうのは命にかかわります。命を落とした人を何人も見てきました。暴力は傷として見えるけれど、言葉の暴力は目には見えません。

そういう人自身にも闇があると思います。かわいそうな人たちです。そもそも私は目の前の人を大切にできない人がどんなに良いことしても言っても大きなことはできないと思っています。その逆も言えます。目の前のものを大切にできる人がたくさんの人を助けたり幸せにすることができます。

そのためにはそういうかわいそうなひとに振り回されず、自分自身と向き合うことがまず大切だと思っています。つまり経験代謝(「経験の再現」を通じて「意味を出現」させ自分を深掘りすることで自分のありたい姿を明確にしていくこと)を促してたくさんの人がありたい姿に近づいていけるような場にできたらいいなと思います。でもその前にまず傷や毒があるならそれを癒さねばなりません。心の入れ物が傷だらけでは新しい風、うれしい楽しいも漏れていってしまいます。

とおまわりもここでできることはどんなことなのか、その辺を見つめなおして、ゆるさや方向性、対外的な点は特に何か変わることはないと思うのですが2年目はきちんとお金をいただく事業としてさらにいろんなことに挑戦し、皆様のお力もお借りしながら頑張っていきたいと思っています。

11/10はとおまわりコンサートです!ぜひご参加ください!

こうして、続くご縁はいつまでも続くんですね。

今後ともよろしくお願いいたします。